美輝の日記

転職や移住しての生活。日々の雑記です。

過去の肩書や所属じゃなくて。

自分がやったことで評価されたい。

以前は東京でいわゆる大組織に勤めていた。
その肩書や所属も自分のアクションに基づくものではあるけど、周囲からそれ以上のイメージを持たれているようでもやもや。

それが取り上げるのに分かりやすいラベルなのはわかるんだけど。

 

過去に囚われたくなくて、
今の環境に甘んじるのでもなく、
ここから積み上げていきたい。

あんまりガツガツするのもキャラじゃないけど、ただ流されて生きていきたくない。

なんだか眠れないのでふと浮かんだことを書いてみた。

ずっとこのまま続きはしないという感覚がもたらすもの

私には今の生活がずっとこのまま続きはしないという感覚があります。

東京で生まれたものの、小さい頃は親の仕事の関係で関西圏で引っ越しを繰り返していました。そのため小学生の頃には「次はいつ引っ越すのかしら」「今の場所での生活はあと1~2年かな」などと考えていました。

就職してからは多くの会社と同様、数年おきに部署異動がありました。私が働いていた職場では、早いと1年で異動することもありました。基本的には1週間前の内示のため、納得いくまで仕事ができず悔しく感じることもあれば、引継ぎをスムーズにできなくて申し訳なく思うこともありました。

これだけだとネガティブに聞こえるかもしれませんが、こうした経験があったからこそ、今できることは何かを普段から意識するようになりました。いつか終わりが来ると思うから前もって準備して動かなくては、と思うようになりました。

親都合での引っ越しや部署異動は半ば強制的なものですが、もちろんそれに反発したり従わずに生きていくこともできたでしょう。むしろそれに合わせているという点では少々他律的ともいえるかもしれません。ですが生きていると、突然交通事故に遭ったり、災害に見舞われたりどうしても自分の力ではどうにもならないことがあります。

もしくは今の仕事よりももっとやりたいことが出てくるかもしれません。そうしたときにも、今の仕事を納得いくまでやったという実感が堂々とその道に進むことを後押ししてくれるのではと思っています。

「ずっとこのまま続きはしない」なんていうとネガティブな印象を与えるかもしれません。ですが私にとってはその感覚が、今を大切に生きなくてはと思わせてくれます。

日記を書くことは未来の自分を支えるということ

あなたは日記を書きますか。書いている方にとって、日記はどういうものでしょうか。

私は日記を書くことは未来の自分を支えることだと感じています。

昨日久しぶりに数年前の日記を遡って読みました。そこには生き方を模索している過去の自分がいました。生きる上で大切にしたいことは何なのかと考えたり、転職しようとするもやっぱり今の職場でまだ学びたいと留まったり、何度も何度も葛藤している姿がありました。転職先が決まった日には、この先の道を諦めずに切り拓くんだと覚悟を決めていました。

日記の中には何度も言葉に表しているものもありました。それは今もずっと考えていることでした。

毎日生活を送るうちに、物凄く印象的な出来事であっても、その記憶やそれに対する感情はどうしても色あせてきてしまいます。それでも日記を読み返すことでそのときの感情がよみがえってきました。何度も言葉にしていることは、私が本当に大切にしたいことは何なのかを教えてくれるようでした。誰かに見せることを前提にしていないからこそ、荒々しくも力強い、感情からの言葉がありました。

言葉には力があります。だから今日もマイペースに日記を書いていきたいです。数年後、数十年後の自分への道しるべになることを祈りながら。

その「今年やることリスト」はほんとにやりたいこと?

1年の初めに「今年やることリスト」を作る方も多いかと思います。

でも、その「やることリスト」はほんとに自分がしたいことでしょうか。もしくは、自分が望む方向に向かうために必要なことでしょうか。

2022年の初め、私は「やることリスト」を作って模造紙に書き出して、1年間部屋に貼っていました。その中には、英語や簿記の勉強、定期的なFacebookへの投稿などそれらしい項目が上がっていました。

最初のうちはそれに意識的に目を向けていましたが、日が経つにつれて部屋の一部と化してしまいました。たまに目をやっても、あまり響かなくなっていきました。むしろ自由な心の動きや感覚を大切に動くことをためらわせるようにも感じました。達成できていることもあるし、大切なことだと頭で理解はできているのに目をやっても全然楽しい気持ちにはなれませんでした。

盲目的に漫然と生きるよりは「やることリスト」を作って、やることを可視化するのは大切なことでしょう。ただ、その「やることリスト」が頭で考えた「しなければならない」だけから来たものだと、それらが達成できたとしても、必ずしも望む在り方にはつながらないように感じました。

今年も私は「今年やることリスト」を作ります。ただ大切なのはそれらの「やること」の前に自分はどんな在り方を望んでいるのか。自分がありたい姿、状態を心に思い浮かべて、感情を乗せながら作ろうと思います。

「今年やることリスト」は自分に課す宿題ではなくて、望む生き方をする手助けになってくれるものだと思うので。

受け手ではなく起点になる

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

2023年は受け手ではなく起点になりたいです。

これまでは気になったイベントに参加したり、本を読んだりネットで記事を読んだりしていました。2023年はそれだけでなく、自ら企画したり発信していきたいです。

昨年とは違う1年にするために、普段の仕事プラスアルファで動いていく。

もしかしたら最初は上手くいかないかもしれない。それでも自分で意志を持って動いてみる。書いてみる。つづけた先にある未来を楽しみに動きたい。

10年以上経っても忘れられないフライト

私には10年経っても忘れられないフライトがあります。

2012年8月18日、10カ月の米国留学に向かうために成田空港からアメリカに出発しました。当時は大学2年生で、飛行機は高校の修学旅行で北海道に行くのに乗った以来でした。一人で乗るのは初めての上、海外に行くのも初めてでした。

留学経験のある大学の先輩には機内は日本人ばかりと言われて安心していたものの、外資系の航空会社だったためか、周りは外国人ばかりで日本人は全然見当たらずいきなり海外に来てしまったようでとても不安になりました。

そうした中で、一人の日本人の客室乗務員の方が私に気付いてくれました。12時間以上に及ぶフライト中、時折声をかけてくださったり、アイスをくださったりしました。(実年齢より幼く見られていたのかもしれません。(笑))

その方のお陰で一人での搭乗でしたが、不安から解消されて落ち着いて機内で過ごすことができました。ただ初めての長時間の飛行機移動で到着したころにはとても疲れてしまっていました。そのせいか飛行機を降りる際に、その客室乗務員の方の前を通り過ぎたにも関わらずきちんとお礼を伝えることができませんでした。

もう10年以上経ったのに、飛行機に乗るたびにそのことを思い出します。思い出に心が温まる一方で、ちょっとした言葉をどうして伝えられなかったのかと後悔しています。

照れくささからためらってしまったようにも思います。

それ以降、感謝している、ありがたいと思うならそのときに伝えるよう努めています。

 

2012年8月18日昼頃、成田空港発ワシントンDC行きのユナイテッド航空に搭乗していた日本人の客室乗務員の男性に感謝しています。今もそのときのことを思い出します。きちんと言葉で伝えられませんでしたが、あなたのお陰で10年以上経っても記憶に残るフライトになりました。ありがとうございました。